【D-Dots日記】

【D-Dots日記】私がD-Dotsを作った理由

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私はずっと、誰かの期待に応えるように生きてきた。 それは、優しさや責任感というより、「そうすることでしか自分の価値を感じられなかった」からだと思う。

誰かの役に立てば、存在していい。 褒められたら、私は意味のある人間だ。 そんなふうに、自分の居場所を誰かの評価で埋めていた。

でも、あるときふと気づいてしまった。 「これ、しんどいな」と。

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誰かの期待に応えることの限界

たとえその人のために頑張っても、 その人の価値観とズレていれば、否定される。 都合のいいときだけ使われて、 都合が悪くなると、切り捨てられる。

何が正しくて、何が間違ってるのかもわからなくなって、 それでも頑張る自分に、だんだん嫌気がさしてきた。

私は、もう無理をしたくなかった。 だから、返した。怒りも悲しみも、優しさも、返した。 でもそれで「ひどい」と言われると、心の中で叫んでた。 「ふざけんなよ。私は、私を守っただけだ」って。

自分のために、表現するという選択

だから、もう“誰かのため”じゃなくて、 “自分が面白いと思えること”をやることにした。

それで、誰かが笑ってくれたら、それでいい。 誰かが勝手に幸せを感じてくれたら、それは嬉しい。 でも、それを目的にしたくはない。

私が届けたいのは、「価値あるもの」じゃなくて、 「私が面白がってるもの」だから。

本音を出すことの怖さと葛藤

でも、ここに一つのジレンマがある。

たとえば、SNSで本音を出した人が叩かれているのを見てしまうと、 私はやっぱり怖くなる。 私も否定されるんじゃないか、笑われるんじゃないか、 やってきたことが全部無意味だと言われるんじゃないかって。

だから、つい当たり障りのない言葉を選んでしまう。 でも、それでは埋もれていく。 他の誰かと同じ、ただの"無難な人"になってしまう。

「自分らしくあること」と「叩かれないこと」は、 時に両立しない。その間で、ずっと揺れてる。

自由に向けた、最初の一歩として

でも私は、それでも言葉を出したい。 私の価値観を、表に出していきたい。 それが、本当の自由に向かう一歩になると思うから。

誰かの期待に応えることを、そっと脇に置いて。 自分の感性を信じて、紡いでいく。

“好き”という感覚を軸にして、 心が動いたこと、笑ったこと、納得できなかったこと、 その全部を言葉にして、誰かの心にそっと置いていきたい。

D-Dotsという場所の意味

私の作った場所――今のコミュニティ「D-Dots」は、 まさにその自由のための、最初の一歩かもしれない。

ここで、自分を出していく。 否定されることを恐れながらも、少しずつでも。 その歩みこそが、私の“本当の自由”を形にしていくのだと思っている。

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