人との関係の中で、ふと「なんだか私ばかり頑張ってるかも」と感じる瞬間があります。 相手に悪気があるわけじゃない。だけど、断り方や反応の中に、 「あれ?」と静かにモヤっとする違和感が残ることって、ありませんか?
今回は、そんな関係性の中で心が揺れたときに、 自分にそっと返したくなった“問い”について書いてみました。 誰かを責めるためでも、正しさを押しつけるためでもなく、 「私はどうありたい?」という感覚に立ち戻るための小さな問い。 同じようにモヤモヤを抱えている方の、心の整理のきっかけになればうれしいです。
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「私ばかりやってるかも」と感じたとき
最近、人との関係の中で、ちょっとモヤっとすることがあった。 きっかけは、「私ばっかりやってるかもしれない…」という感覚だった。
だけどこの感覚って、なかなか自分でも気づきにくい。 だって、頼まれたら断れないとか、人に親切にするのが当たり前になっていると、 「自分が無理してる」ってことにすら気づかないことが多いから。
だからこそ、私が大事にしているのは 「相手の反応を見ること」だったりする。
たとえばこちらが何かをお願いしたときに、 即座に「無理」と言われたり、 その断り方が「自分が忙しいから」「それって嫌だから」といった、 相手都合だけで完結してしまう場合には、少しモヤっとする。
もちろん、断ること自体は悪くない。 でも、「その断り方に、相手との関係性への配慮があるかどうか」 そこに私は、結構敏感に反応してしまう。
それが続くと、私はこう思うようになる。 「ああ、この人は“関係性”より、“自分の快・不快”で動く人なんだな」と。
そして、 「自分は頑張ってるのに、認められない」と怒る一方で、 他人の頑張りには目を向けない…そんな態度にも違和感を感じた。
今日の問い
「この関係、私ばかり差し出してないかな?」
誰かに何かをしてもらいたいなら、 まずは自分から一歩、関係性を育てていく必要がある。 でも、最初は優しく近づいてきても、 いざこちらがお願いをしたときに「え、なんで?」って言われると、 そこに“関係性のバランスの偏り”を感じてしまう。
私は、相手が断るときに 「できなくてごめんね」「こういう理由で今回は難しい」って “関係性を大事にする断り方”をしてくれる人には、むしろ信頼が増す。
でも、 「自分が嫌だから」 「気分じゃないから」 そんな断り方が続くときには、 「その関係、私だけが歩み寄ってないかな?」と、自分に問いかけてみたくなる。
気づきのことば
「やってもらうことは当たり前じゃない」 「伝えなくても、きっとわかってくれる」は幻想かもしれない 「私が“違和感”を覚えたら、それは“心のサイン”」
この気づきはきっと、 誰かとの関係に違和感を抱えたまま我慢している人にも、 そっと届くんじゃないかなと思います。
あなたのモヤモヤは、きっと問いへと変わる。 そしてその問いは、誰かにとっての優しい道しるべになる。
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