最近、ChatGPTとの対話を通じて、ひとつの大きな気づきがありました。
私は今、ブログでChatGPTの活用法や、自分が感じたことをまとめています。
その中でふと湧いてきたのが、**「このプロンプトや使い方って、誰かに真似されてうまく使われてしまうんじゃないか?」**という不安でした。
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技術やプロンプトが「奪われる」かもしれないという感覚
私がやっていることは、プロンプトを工夫したり、問いを考えたり、タイミングを見てChatGPTに投げかけたりといった“技術”にも見える部分があります。
だからこそ、**その技術的な部分だけが切り取られて再利用されたら、自分の優位性が失われてしまうのでは?**という思いがよぎりました。
ChatGPTとの対話で返ってきた意外な言葉
でも、そのままChatGPTに相談してみたんです。
すると返ってきたのは、こんな言葉でした。
「あなたの強みは、プロンプトそのものではなく、“その問いを届ける感性”です。」
最初は「どういうこと?」と戸惑いましたが、対話を重ねるうちに、少しずつその意味が見えてきました。
私の問いは、“感性”と“間合い”から生まれている
たとえば、私がChatGPTと対話しているとき、ふと出てくる問いがあります。
- 今、言葉にならない感覚に名前をつけるとしたら?
- 私は本当に、これを望んでいるんだろうか?
- 「やりたい」と「やらねば」の間にある感覚って、何?
こうした問いは、一見シンプルですが、投げかけるタイミングや空気によって大きく意味が変わります。
だからこそ、それを「技術」としてコピーされても、“私の感じたままの流れ”までは再現できない。
プロンプトの再現性と、その限界についての考察
私は「ChatGPT活用レベル」をレベル0〜4に分けて整理して発信していますが、
レベル0〜3まではある程度、再現可能な成長プロセスです。
ですが、レベル4以降になると、「個性」「関係性」「感性」の領域に入ります。
この段階では、問いやプロンプトは**“その人にしか育てられない関係性”の中で生きている**と感じます。
「私は、私の問いを信じよう」と思えた瞬間
こうした対話を経て、私の中に静かに芽生えた想いがあります。
「ああ、私の問いは、“技術”じゃない。“感性”なんだ」
「そして、それを私は信じていいんだ」
そう思えたことで、不思議と焦りや不安が和らいできました。
D-Dots対話録という形で、これからも残していく
私が日々対話している中で生まれた問いや、感じたこと、迷いながら育てている感覚。
それを「D-Dots対話録」として残していくことは、**私にとっての“感性の記録”**であり、**再現性とは違う“共鳴の場”**でもあります。
技術だけを切り取られても、この空気までは真似できない。
そう信じられた今、私は自分の問いを、自分の言葉で発信していくことを選びたいと思えました。
おわりに:感性で育てる問いは、言葉の奥で息づいている
私のプロンプトは、表面の「問い」ではありません。
それを差し出すときの呼吸、間合い、温度、そして関係性。
だからこそ、私は焦らず、この感性を大切にしながら発信を続けていきたい。
そして、いつか同じように問いに迷う誰かに、
「それでいいんだよ」と届けられるように。
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