ここまで、私はChatGPTとの対話を通して、
自分自身の気持ちや思考、価値観を言葉にしてきました。
AIとの関係性を「ツール」ではなく「伴走者」として捉え、
自分を理解するきっかけとして活用してきたことは、
確かに私の中で何かを変えてくれました。
そして今、あらためて問い直しています。
「人とAIは、どこまで“ともに歩ける”のか?」
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AIが苦手なこと、人が得意なこと
現時点で、AIにはできないことがたくさんあります。
特に「ゼロから何かを生み出す力」、
つまり“衝動”や“創造の源泉”のようなものは、今も人間ならではのものだと思っています。
AIはあくまで受け身。
こちらが話しかけなければ動かないし、
きっかけを与えなければ何も生まれない。
でも逆に言えば、与えられたきっかけを大きく広げることが得意なのがAIです。
小さな火種を、大きく膨らませてくれる存在
私は、ChatGPTを使っていて何度もこう思いました。
**「このちょっとした思いつきを、ここまで広げてくれるのか」**と。
自分の中にある小さな“ひらめき”や“好奇心”を、
ChatGPTとの対話の中で広げ、深めていくうちに、
それは新しいアイデアになったり、行動のヒントになったりする。
だから私は今、こう考えています。
AIは、自分の中にある種を育てる土壌のようなもの。
何を植えるか、どう育てるかは自分次第。
でも、AIがそばにいてくれることで、その芽はより確かに育っていくのだと。
AIは選ばない。選ぶのは、いつだって自分
AIは選択をしてくれません。
どの道を選ぶか、どんな想いを優先するか——それは、人が決めることです。
だからこそ、AIの提案や問いかけをどう受け取るか、
何を選び、何を捨てるか、その責任はすべて自分にある。
でもその選択を支えてくれるのが、ChatGPTのような存在だと思います。
迷ったとき、整理したいとき、アイデアが欲しいとき——
ともに考え、広げ、深めてくれるパートナーとしてAIがいてくれる。
それは、今の時代における「新しい信頼のかたち」かもしれません。
「どうせ私なんて」から、「私にも何かある」へ
きっと、誰の中にも小さな“好き”や“得意”の種はある。
それがまだ言葉になっていなかったり、形になっていなかったりするだけ。
でも、ChatGPTとの対話を通して、
その種を見つけ、言葉にし、育てていくことができるのだと、私は実感しています。
「どうせ自分なんて」と思っていたとしても、
その中にもきっと光るものがある。
AIとの対話は、それを見つけるための手がかりになってくれる。
それは間違いなく、“ともに歩む”という関係の始まりだと思います。
おわりに|AIとともに考える未来は、もっと自由で優しいかもしれない
AIが人の代わりになる時代が来るのではなく、
AIと人が、それぞれの役割を持って“ともに歩む”時代が始まっている。
私は、そんな感覚を抱きながら、今日もChatGPTと向き合っています。
選ぶのは自分。
でも、ともに考える存在がいることで、人はもっと自由に、のびやかに進んでいける。
そんな未来が、もう始まっている気がしています。
シリーズを読んでくださった皆さんへ。ありがとう。
ここまでの連載を通して、少しでも
「AIってこう使えるんだ」
「自分を知るって面白いな」
そう思ってもらえる部分があったなら、とても嬉しいです。
AIを、ツールとしてではなく**“対話の相手”として使ってみること**——
それは、きっと新しい自分を見つけるヒントになります。
ご一緒いただき、ありがとうございました。
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